アルコール依存症 心の話

アルコール依存症について①家族の体験談

実家から持ち帰ったミニボトル アルコール依存症

アルコール依存症について①

大きな問題が起きた2020年の2月は
コロナ禍の影響が出始めた頃でした。
後に実家の父が脳梗塞で倒れたので
あれこれと同時進行でやるべき事を
多くの人達の協力を得ながら
一つずつ確実にこなしていきました。
まだまだ解決には至っていません。
未だ道半ばです
この章ではアルコール依存症についての
体験談を書いていこうと思います。

機能不全家族
夫がアルコール依存症になって
それに気づいたのは
何時からだったでしょうか。
私と結婚する時はもう既に飲酒は酷く
夫自身が
コントロール出来ていなかったではないかと
思われます。
私の親戚も夫の飲む量を気にかけており
私たちの結婚に反対していました。
私は反対を押し切って結婚しました。
酒を飲んでも大人しく寝るだけで
暴れる様子もないし
女遊びをするわけでも
ギャンブルをするわけでもなかったので
なぜ親戚が余計な心配をするのだろうと
一般の男性ならばこのくらいの飲酒は
普通ではないかと思い込んでいました。
当時は荒れていた実家に嫌気がさして
相手が誰でも良いから早く結婚して
逃げ出したかったのです。
男からしたら
たまったものじゃありませんよね?
娘が産まれたら生活を考えて
夫は父親らしく
少しはお酒を控えてくれるものだと
期待していましたが
「仕事を頑張っているのだから
このくらいは許されてもいいだろう。」と
事あるごとに
自分へのご褒美が増えていきました。
アルコール依存症は
ある日いきなりなるのではありません。
コップに入るお酒の回数や度数が
毎日少しずつ増えていき
本人の気が付いていないところで
進行しているのです。

夫がどれだけ仕事が辛かったのかは
私には分かりませんが
「眠れないから飲ませてくれ。
お酒を飲まないと眠れない。」
と深酒していました。
アパートに住んでいた時は
娘がまだ幼稚園でした。
夫はお味噌汁に
キッチンペーパーを入れてみたり
夜中に寝ぼけて空中を指さして
「お前は誰や?」と言ってみたり
不思議な行動をし始めていました。
本人は変な行動をしたことを覚えていないので
お酒に酔っている時に注意しても
素面の時に注意しても意味がありません。
娘の運動会が翌日で
前の晩に体操着を畳んで置いたものの上に
排尿した時には
体操着は洗って徹夜でアイロンして乾かし
そのまま寝ないでお弁当を作りました。
私にしてみれば大変な作業だったので
忘れられない出来事です。
出掛ける時はお酒の飲める店でないと入りません。
広島にはフラワーフェスティバルや
西条の酒まつりや
フードフェスティバル等の祭りがありますが
その帰り道は酔いつぶれた夫を
支えながら歩くといった
苦行が待ち構えていました。
カープの観戦の時も試合が終わって帰る際に
夫が酔いつぶれて歩けなくて
スタッフにタンカーで運び出してもらったり
折角早く試合が終わっても
広島駅の男子トイレに入ったまま出て来なくなり
駅員さんに声かけをお願いする事もありました。

私も悪いのです。
私はお出掛けが好きでしたが
そんなに出掛けたければ夫など連れて行かずに
一人で行けば良かったのです。
寂しさを夫と常に一緒に
行動することで埋めていました。
私は夫に依存していたのです。
それでいて
夫の寂しさや辛さは
理解してあげられませんでした。
夫が事故を起こして
ようやく自分が共依存の存在で
夫の飲酒を助長させる原因であった事を知ったのです。
私にとっても夫にとっても
人間関係が公平ではありませんでした。
私は自分に自信が持てず
人に自分がどうすれば良いのかを聞いたり
自分では何も考えず努力も何もせず
人に助けを求めていたりしていました。
何かあると全部人のせい。
親の顔色を窺いながら育った環境のせい。
自分がないのでブレブレで
価値観さえも人任せ。
自分の芯が無いので
他人の持ち物が羨ましくなります。
なぜ夫の稼ぎが悪いのか?
なぜ借家で持ち家じゃないのか?
なぜ車が一台しか持てないのか?
なぜ一人しか子供が産めなかったのか?
と悩むようになりました。
『人並』に『普通』に
物質を欲しいという欲と
人並に物質を持っているという
見栄が目標になり
持てない理由を人のせいにして
夫を責め立てるようになったのです。
夫も顔にこそ出しませんが
追い詰められていって逃げ込んだ先が
アルコールであったのではないかと
今にしてみればそう思います。

夫自身は気の弱い人です。
お友達が多いように私には思えましたが
誰にも仕事を頼まず
自分一人で抱え込んでしまうあたりは
夫は私に似て
信頼が持てるお互いがイーブンな関係の
真のお友達が居なかったのかも知れません。
夫の父親は被爆者で体が弱く
アルコール依存症でもあった為
夫は
幼少の頃から親戚の家に預けられて育ちました。
家に居ればタバコで灸を据えられていました。
自分の身を守るために
嘘をつくようになっていったのかも知れません。
夫の父親が長い闘病生活の末に亡くなったのが
私と出会った頃でした。
「自分は親父のようにはならない。」
と夫は言っていましたが
遺伝としか言いようがありません。

夫婦二人の心の支えとなっていたのは
娘の成長でした。
アパートが手狭になり
無理をしてローンを組みました。
高卒からいた会社から
出向先の会社に転職。
そこから夫の苦悩が始まります。
私はパート先が変わり
仕事が生活の中心になっていきました。
私は娘が大学に入り
手がかからなくなると同時に
インターネットの世界に
のめり込んでいきました。
夫は携帯電話を手に入れた頃から
出会い系サイトに嵌まってしまい
酒を飲みながら見も知らない女性と
深夜に長電話するようになりました。
携帯電話の通話料金が高額になってきたので
夫に電話を控えるように伝えると
パソコンでスカイプをしている私が
羨ましくなったのでしょう。
「スカイプのアカウントを作って
使えるようにして。」と
言われました。
スカイプの準備といっても夫は
パソコンのキーボードの使い方さえ
知らないのですから
一から十まで使い方を
教えなければなりませんでした。
夫のスカイプ生活は夜勤があった為
夜勤明けにオールナイトで
知らない人たちと
『会議』をしてしまいます。
会議と言っても今でいうと
『オンライン飲み会』みたいなものです。
夫は休みですが私は仕事です。
私は寝不足になり始め
夫のスカイプをする姿が
大嫌いになりました。
後で知った話ですが
この頃にはお酒の匂いをさせながら
会社に行っていたようです。
そのうちにパソコンにお酒をこぼして
故障したのか異音がし始めたので
スカイプ騒動はそこで終了しましたが
夫はまた携帯電話の出会い系に
戻る事になります。
そして出会い系で知り合った女性と言うのが
生活保護法違反を犯している人で
どこまでブログに書いていいのか悩みました。
夫が飲酒運転を起こす原因にもなったので
人権に配慮しながら
気を付けながら書き進めようと思います。

この後は体験談②に続きます。

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